デルス・ウザーラ
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ウラジオストクの北西にハンカ湖という大きな湖があります。中国黒龍江省とロシアの国境がこの湖の中を走っています。冬の間、湖は完全に凍結します。
この湖は日本とも浅からぬ縁があります。 黒澤明監督が映画「デルス・ウザーラ」を撮影したのはこの湖のほとりです。 当時スランプに陥っていた黒澤監督がソ連の資本でで1975年に封切られた映画です。 黒澤映画としては評価の高くない映画ですが、見る角度を変えればとても興味深い映画です。この映画はすべてロシア語なので、彼女(彼)と一緒に見られます。 1902年ウラジオストクの北部ウスリー山脈を探検に来た地質学者で地理学者のウラジミール・アルセイニエフを隊長とするロシア探検隊の案内をしたナナイ族の猟師デルス・ウザーラとの物語で、アルセイニエフの残した日記を元に同名の本も出ています。映画ではデルスはナナイ族ではなくゴリト族と紹介されていたと記憶しています。 間宮林蔵が樺太が島だと発見した当時、まだ帝政ロシアは樺太まで調査が及んでいなかったどころか、シベリア東部さえ把握していない状態でした。 各国が領土合戦をしていた当時にアルセイニエフたち一行の調査は未開の地を自国に取り入れるための重要な役割を担っていました。 |
| 湖に張り出したロシア側の半島、11月に飛行機から撮影しました。湖に浮かんでいるのは氷です。湖で漁をして生計を立てる人々が住んでいます。 |
| ナナイ族は日本人に近いモンゴル系の民族で、もともとこのロシア極東の森に生活していた狩猟民族です。ナナイ族の住居跡などはウラジオストク近郊にも保存されています。
デルスは、天然痘で家族を亡くし、家もない。ベルダン銃と呼ばれる単発の鉄砲をもって森の中で自給自足の生活をしています。彼は生き物や自然現象をすべて「人」と呼びます。自然の中で自然界の一部として暮らしているデルスの魅力に、アルセイニエフは次第にはまって行きます。 風や雲の流れを読み気象の変化を言い当てたり、デルスの経験が何度も隊の危機を救ったり、当初、調査隊の目には奇怪な行動ばかり目に付いていたのですが、次第に隊員たちもそれを受け入れるようになっていきます。 アルセイニエフがデルスを雇ったとき既に彼は53歳でしたが、年齢の衰えはデルスの上にもやってきます。鉄砲の名手が標的をはずすようになります。原因は目の衰えでした。やがてデルスは死を恐れ怒りっぽくなります。神の使い「森の強い人」トラに銃を向けたことから死におびえ始めます。 森の中では弱いものは強いものに捕食されくわれるのが自然です。それを哀れに思ったアルセイニエフはハバロフスクの自宅にデルスを呼び、余生を送るように薦めます。ところが、もともと森の中で自然のままに生活していたので、やることなすことめちゃくちゃで町の生活にはなじみません。 アルセイニエフの家の薪にしようと街路樹を切ってしまったことから警察沙汰の問題になり、町での生活に疲れていたデルスも出て行くことを決心します。別れ際にアルセイニエフが森の中で生き抜くのに古い銃では不便だろうと最新式の銃をプレゼントします。ところがこれがあだになります。 後日警察から呼び出しが来て、デルスが殺されたことを知ります。デルスが持っていた銃を狙った強盗に殺されてしまったのです。最後は鉄道のそばに穴を掘ってデルスが埋められていく光景で映画は幕を閉じます。 黒澤明はこれら一連の撮影をハンカ湖のほとりで行いました。殺されたデルスが埋められた駅の近くにも行ってきましたが、さびしい森の中の停車場でした。黒澤明が撮影をしていた頃はウラジオストクが軍港で外国人の立ち入りを認めていなかったので、当時日本に門戸を開いていたハバロフスクからこの地までやってきました。 もちろんデルス・ウザーラは実在の人物です。森の中で猟をして暮らしていた民族でしたが、やがて中国人や朝鮮人が入ってきて、森を燃やし、ロシア人が姿を見せるようになると、あっという間に西から鉄道を使って大挙して押し寄せてくる。海岸には日本人までやってくる。生活圏を奪われてやがてナナイもウヘデもゴリト族も消えて行きます。まだ100年もたたない昔のことです。 デルス・ウザーラはロシアでは「デルスウ・ウザラー」と呼ばれています。ハンカ湖の南西、中国国境に近いところにアルセイニエフの名を刻んだ町があります。1945年8月10日ここを出発したソビエト軍の第一陣が綏芬河を超え満州になだれ込んできます。 |